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日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

カトーコーキ著『しんさいニート』読了。生きづらさを抱える人の苦悩と再生の物語。

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2011年3月11日に起こった東日本大震災。

 

この未曽有の災害によって多くの命が奪われた。また家が震災で倒壊してしまいいまだに仮設住宅で暮らす人、また生まれ育った街を離れ新たな土地で新たな生活を始めている人もいる。多くの人の生活をあの震災は変えた。

 

今回僕が読んだ『震災ニート』というマンガの著者であるカトーコーキさんもそんな被災者のうちの一人だ。

 

 

このマンガではカトーさんたち家族が故郷の福島県南相馬市から避難するまでと避難後心を患ってしまったカトーさんがどのように再生していくのかが描かれている。

 

被災者の心の葛藤がよくわかる。

 

先述したように、この漫画の前半部はカトーさんやお兄さんとその子供たちが故郷である福島県の南相馬市から避難する様子が描かれている。

 

震災当時カトーさんは南相馬市で陶器屋を営み、彼のお兄さんは学習塾を経営。お母さんも南相馬市にある病院に勤めていた。

 

そんな中2011年3月11日に地震が起こり津波が太平洋沿岸地域を襲った。彼らが住む福島県の南相馬市も太平洋に面していた。幸いカトーさんの自宅は沿岸部からは15㎞ほどのところにあり、津波の被害を受けることはなかった。

 

しかしその後原発事故が発生する。彼らの自宅は原発から30㎞圏内、さらにお母さんのが勤めている病院は原発から20㎞圏内である。原発から30キロ圏内は屋内退避指示が出てはいるが、立ち入り禁止にはなっていない。とはいえただでさえ、情報が少ない中原発が爆発したら自分たちのいる地域が安全かどうかなどわかりはしない。そのためカトーさんたちは「今後自分たちはどうするか?」を考え決断しなければならなかった。

 

大人だけならばまだいい。だがお兄さんには2人の幼い子供がいる。

 

「子供たちの命を守る」

 

彼らは子供たちの命を最優先に考え、自分たちの仕事も家も友人もすべてを捨てる覚悟で故郷の南相馬市を後にした。

 

この時彼らの決断はとても早かった。震災発生後からわずか2日後には故郷を捨てる決断をしたのである。はたして僕が彼らと同じ立場だったらこれほど迅速に行動できたかわからない。

 

この決断の早さについてカトーさんは本書の中でこう述べている。

 

ボクたちの動きが異常に早かったのには理由がある

それは2人共、個人事業主だったということである

この時、求められているのは決断の早さだとボクたちは考えていた

しかしこの非常事態の中先の生活に対する不安が会社勤めの人たちを会社に縛りつけてしまったようだ

それに対し個人事業主であるボクたちはこんな話をしていた

オレたちは自分で仕事を作ってきた。だから辞めるか否かの判断を下すのは自分だ!

南相馬に帰れないのなら福島市で新たに仕事を立ち上げればいい!!

ああ、そうだね!!

「どこでも生きていける」という気持ち

それこそがボク達の強みだったのだ

 

なるほど、確かに個人事業主であれば仕事をやめるも続けるも自分たちの自由だ。それに自分で仕事を立ち上げるという経験をした彼らは、別の場所で新たな仕事を立ち上げることはサラリーマンの人などに比べて抵抗がないだろう。そして何より

 

「どこでも生きていける」

 

と思えているのは重要だ。環境を変えようと思った時にこの感覚を持てているかどうか。逆に「自分はこの会社でしかやっていけない」「自分はこの地域でしか生活していけない」という感じだと、彼らのような決断はしづらいのだろう。

 

ぶっちゃけ今の僕にはその自信がないので、そういう生きていくための能力を身につける必要があるなというのを彼らの様子から学ぶことができた。

 

被災者とのしてのプレッシャー。

 

紆余曲折あり、カトーさんたちはお兄さんのお嫁さんの実家がある北海道の函館に避難していた。最初は、兄嫁の実家でお世話になりその後は市役所の方の手助けもあって公営住宅に住むこととなった。

 

すみかは何とか確保した。問題は仕事である。

 

お兄さんはもともとやっていた学習塾を再びやることになったのだけど、カトーさん自身はもともと陶器職人。職人としてイチからやるにはお金がないし、そもそも陶器職人としての働き口などほとんどない。ハローワークに行ってもやはりいい仕事は見つからない。

 

そこで、カトーさんはもともとあこがれていた美容師になろうと考える。美容師なら資格を取りさえすれば働けるし、くいっぱぐれることもないというのが理由のようだ。

 

ただこの時点で既に3月半ば。当然のことながら新1年生の募集は終了していて、学校への入学を一度は断られてしまう。

 

ところが、ここで救いの神が!!カトーさんのことを聞いた美容学校の校長が特別に入学を許可してくれたのだ。もちろん彼が被災者ということが大きかったのだろう。さらにありがたいことに、学校ではカトーさんを特待生として扱ってくれて入学金などの費用を一部免除までしてくれたらしい。まさに至れり尽くせり。

 

ところが、この頃からカトーさんは「自分が被災者」ということにプレッシャーを感じるようになる。

 

自分の今の生活があるのは、行政や友人を始めとした周りの人たちのサポートのおかげだ。自分は被災者であり、支えてもらっているぶん必死に生きなければならない。贅沢なことや好きなことなんてしていいはずがない。そう思い込んでしまったのだ。

 

きっと被災した方の中にはカトーさんと同じように「ちゃんと生きなければならない。」と必要以上に自分にプレッシャーを与えてしまった人はいるんじゃないだろうか?

 

やはりあの当時の日本中の空気というのはどこか「楽しんじゃいけない」とか「厳かに過ごさなければいけない」という風になっていたように思う。そういう空気を被災者の方たちは敏感に感じ取ったのではないだろうか?

 

でも本来なら苦しい思いをした被災者の方こそ、少しでも悲しみから立ち直り楽になるために自分の好きなことや楽しいことをやってもらうべきなのだ。もちろん被害が大きかっただけになかなかそう思えないのかもしれないが、なるべく早く被災者の方達に普段の生活を取り戻してもらうことこそ彼らの負担を軽減させることになると思う。

 

自己否定された過去に苦しめられる

 

さらに被災者としてのプレッシャーと共に彼を苦しめたのがかつてお父さんから受けた人格否定の過去である。

 

お父さんは2009年にすい臓がんで亡くなっているのだが、カトーさんによると生真面目で神経質であり、常識、体面、体裁を判断基準とする人だったらしい。そしてそれを子供たちにも押し付けた。ちょっとでも自分が常識と思うことから子供たちが逸脱しようものならば、烈火のごとく怒りだし子供であったカトーさんとお兄さんを否定したのだ。

 

お兄さんは中学に入ると荒れて反抗することでお父さんの支配からは逃れることができた。でもカトーさんはその支配から逃れることができなかった。お父さんが傷つきやすい人間であることに気づいていた彼はお父さんが傷つくような行動ができず、お父さんが望むような行動ばかりをとるようになったのである。

 

しかし、そんなカトーさんの努力もむなしくお父さんは彼のことを認めてくれない。繰り返される人格否定。結果としてカトーさんは「ボクはダメなやつだ」「ボクはできない人間だ」と思い込むようになってしまったのだ。自分を肯定することができなくなってしまった。

 

その自己肯定感を失った過去を背負ったまま被災者としてプレッシャーを感じ続ける日々を過ごす。この2つの苦しみは後々までカトーさんのことを苦しめるのである。

 

それにしても自己否定というのはやっかいだ。僕もカトーさんほど強烈なものではないが、かつて自分を否定しまくっていた過去がある。

 

「自分はダメなやつ」「自分なんて存在価値がない。」

 

そう思いながら生きる日々というのはとてつもなくしんどい。自分を否定しては自信を失い、そんな自分をまた否定する。解決策がわからずグルグルと負のループをくりかえる。思い出すと胸が苦しくなってしまう。

 

ましてやカトーさんの場合子供の時から大人になるまでずーっと自己否定したままでいるわけだ。この時彼は人の顔色を伺い他人の評価を気にして生きてきたと言っていた。自分を肯定できないと、それは他人の評価を気にせざるを得ない。他人から評価され求められることで失った自信や自己肯定感を取り戻そうとするわけだ。

 

だが結局のところその人生は「他人に支配された人生」なわけで心の中には違和感が残る。「何かおかしい。」「何か変だ。」そういうものの積み重ねでやがて心に変調をきたしてしまうのではないだろうか?

 

美容学校で理解者と出会う

 

30歳にして美容学校に入学したカトーさんは、恩師とも呼べるであろう人と出会う。担任のミカさんという方だ。

 

ミカさんは20年以上美容室で腕を磨いてきたベテランの方だ。口は悪いが生徒たちの個性を尊重し人格を否定したりしないので、非常に慕われている。

 

だがカトーさんは年齢や、学歴、被災者としてのプレッシャーなどから焦ってしまい彼女と衝突してしまう。そしてその性格では美容業界ではやっていけないと断言されてしまうのだ。

 

ところがミカさんはそんなカトーさんのことを決して見捨てはしなかった。彼がなぜそうなってしまったのか話を聞くことで原因をはっきりさせようとしてくれたのである。

 

そこで、カトーさんはミカさんに父親からされた自己否定の日々、そして自分を肯定できないから他人からの評価の中でしか生きれない自分のこと、被災者としてのプレッシャーなどを伝える。

 

ミカさんはそんな彼の話を聞いたうえでこう伝えるのだ。

 

あたしはあんたを絶対に裏切らない

絶対に見捨てない!だからあんたはあたしを信じなさい!!

あんたの問題は根深いけど

2年間のうちになんとか

頑張って改善していこう!!

あたしも協力するからさ!

 

この出会いはとても大きかっただろう。別の人ならばもしかしたらカトーさんとは距離をおき、特に対応してくれなかったかもしれない。そして彼の心はさらに蝕まれてしまったかもしれない。

 

その後もカトーさんは葛藤し苦しみながら学生生活を送るのだが、ミカさんのサポートや仲間との出会いもあり美容学校を卒業するのである。

 

苦しい時、しんどい時相談できる誰かがいる。ちょっとだけでも話し相手になってくれる人がいることで乗り越えられる壁もある。そう思わせてくれるミカさんとの出会いであった。

 

美容師時代、ついに心の病が‥‥‥。

 

美容学校を卒業後お世話になっていた美容室のオーナーさんのつてで東京の美容室への就職が決まる。

 

ようやく新生活が始まるかと思いきや、そこからが苦しみの日々の始まりであった。

 

彼が入った美容室では先輩の指導方法は新人アシスタントを否定するものだったのだ。つまり、カトーさんの父親が彼に行っていたそれと同じようなものだったのである。

 

そのため少しでもミスをしたりできないことがあると怒鳴り、否定し新人をいびる。結果として新人は萎縮するし、だんだん新人たちからは笑顔と覇気がなくなっていく。結果としてスタッフは誰も幸せではないという職場になってしまったのである。

 

その結果新人のアシスタントたちはどうなるであろうか?簡単だ。

 

「失敗を恐れ行動しなくなる」

 

何か行動すれば怒られ、人格を否定されてしまうような環境であれば「自分から動かず指示にだけ従っていればいい。」という考えになるに決まっている。そして言われたことしかできないようなスタッフの出来上がりだ。カトーさんは美容アシスタントロボと呼んでいたが、まさにそういうロボットが量産されてしまうだけなのである。

 

でも、本来であれば先輩スタッフも社長も「自ら考え動けるスタッフ」を育てたいはずなのだ。アシスタントロボだらけになってしまえばそのお店に活気は生まれないだろう。だが現実にはそれとは正反対の指導を行ってしまっている。

 

カトーさんは自己否定され過去があったため、お店の指導方法の矛盾には気づいていた。だが彼は入社したての新人アシスタントにすぎず店のシステムをどうのこうのできる立場ではなかったのだ。

 

その後アシスタントが発言できる会議で教育の矛盾を指摘したり、店長に掛け合ってもみたが上辺だけの対策で状況はいっこうに変わらない。長年築き上げられた教育システムは盤石なものとなってしまっていた。

 

このような職場環境の中、カトーさんはだんだんと疲弊していった。そして入社してから2か月になる5月末に頭の中にある言葉が浮かんでくるのである。

 

「ああ、死にたいな・・・」

 

唐突に自分の頭の中に出てきたこの言葉に彼は驚くのだが、その後はどんどん死にたいという感情が彼に迫ってくる。そしてやがて死ぬことばかりを考えてしまうようになり、彼はこれがうつ病だと気付くのだ。

 

病院に通い聞いているかどうかもよく分からない薬を処方される。鬱々とした状況の中でも日々は続く。

 

さらに、職場でも大きな変化が起こる。6月半ばにアシスタントが一気に6人もやめてしまったのだ。先述したような職場環境であれば当然であろう。

 

ここで読者の方の中にはこう思う方もいるのではないだろうか?

 

「何でカトーさんはこの職場辞めないの?」

 

それにはいくつか理由がある。32歳という年齢にもかかわらず新人として採用してくれたこと。そして美容師としてまだアシスタントにしか過ぎない彼がこの時点で店をやめてしまったとしたら残るのは美容師の資格がある32歳のほぼ未経験という経歴のみだ。

 

確かにその状況で店をやめたとしたら他のお店で雇ってもらえる可能性は低いかもしれないし、仮に雇ってもらえたとしてももしかしたら人がすぐに辞めてしまう今の職場と同じようなところかもしれない。

 

さらに言えば、カトーさんには自分が美容師になれたのには美容学校の担任のミカさんや家族、お店を紹介してくれたオーナーさんなどの助けがあり彼らを裏切ってはいけないという思いがあったのだ。

 

そういう状況もあり、カトーさんは他のアシスタントが辞めても店をやめることができなかった。店にしがみつくしかなかったのだ。カトーさんはこの本でも書いていたが生真面目な性格なのだとおもう。いやっ、子供の頃の否定された経験から「こうしなければならない」という生真面目な人にならざるを得なかったのかもしれない。

 

そして、彼はついに本気で死ぬことを考えてしまう。しかしその前にした一本の電話が彼を救うのだ。それは美容学校の担任であるミカさんへの電話である。

 

カトーさんはミカさんに事情を話して、今から死のうと思っていることを伝える。思いがけないカトーさんの一言にミカさんは彼を必死に止める。

 

そんなのダメに決まってるでしょ!!

わかったわ

あんた今すぐ社長に電話して辞めますって言いなさい!!

あんたの命より会社のほうが大事なはずがないっ!!

あんたをそんな風にしちゃう

会社になんて

ムリして行かなくていい!!

今すぐ辞めなさいっ!!!

 

ミカさんのこの言葉でカトーさんは踏みとどまるのだ。

 

自殺する人の中には本当に死にたいと思う人もいるだろうが、突発的に死を選んでしまったという人もきく。もしかしたらカトーさんのように誰かに相談していたり、一人になったりしなければ防げる死というのもあるのではないだろうか?

 

そう考えると、もし仮に「死にたい」と思いつめる人がいるのならばその前にだれでもいいから相談することを選んでほしい。それは誰でもいい。知り合いでも友達でも家族でも。いのちの電話のようなものだっていいだろう。苦しい思いを一度吐き出すことで楽になることもあるだろうし、冷静になることもあるはずだ。

 

そしてミカさんが言うように

 

「命より会社が大事なことなんてあるはずがない」のだ。

 

会社から辞めることを逃げることと否定する人もいるだろうが、逃げずに踏ん張り続けた末に命を失うなんてそれこそ本末転倒である。死にたいぐらい追い詰められたなら、いやそうなる前に今の環境から逃げるのも一つの手である。なぜなら追い詰められすぎて精神を病んでしまえば回復するまでが大変だからだ。自分の健康や命を投げ出してまで会社が大事なんてことはないと声を大にして言いたい。命が危険にさらされる場面では「逃げるが勝ち。」という考えもアリなのだ。

 

美容師をやめてから再生までの道

 

美容院をやめたカトーさんだが、それで鬱から解放されるわけではなかった。自分を否定する日々が続くのである。カトーさんのこの辛さはマンガ越しにも伝わってくる。終わりの見えない苦しみの中生きることはしんどい。当時の彼の心境を思うと胸が苦しくなってしまう。そしてよく生きていてくれたなと思うのだ。

 

このような苦しい状況の中、カトーさんは友人などに助けられながらなんとか生きる日々。

 

だが、ある日ふとこんな事を思うのだ。

 

「この問題は自分では解決できないのではないか?」

 

彼はこれまで自分で解決できない問題はないという信念のもと生きてきた。だが、結局自分自身が救われたことはなかったのである。

 

であるならば他人の力を借りて解決しなければならない。そして彼はある一つの考えにたどり着くのである。それはカウンセリングを受けること。結果としてこれが功を奏するのである。

 

細かいことは省略するが彼はカウンセリングを受ける中であることに気づくのだ。

 

どんなに苦しかろうが

人間は自分の過去を

消すことなどできはしない

自分の過去を遠ざけるのではなく

受け入れることが

非常に困難ではあるが

‶治る‶ための最善の道なのである

 

自分の過去のを振り返り「あんなことさえなければ」と嘆くことはあるだろう。僕自身も過去に捉われてなかなか動けなかったし、今もふとした時に過去に捉われてしまう自分がいる。過去に捉われてはいけないとわかってはいるのだけど、ポイッと簡単に過去を捨てられるわけではないのだと思う。

 

それでも過去を否定するのではなく過去を受け入れることを選ぶ。苦しく辛いことかもしれないが、これができてはじめて次に進めるような気がする。カトーさんは苦しみながらもこの考えにたどり着いたのだ。素直にすごいと思う。

 

そうやって過去と少しずつ向き合い始めたカトーさんは、これまでの苦しみや震災での体験などが誰にもまねできない自分だけのウリであることに気づく。そしてそのウリを活かすためにアレコレ試行錯誤した末についにこの『しんさいニート』 を描くところまでたどりつくのである。

 

まとめ

 

『しんさいニート』はカトーさんが自分の過去と向き合ったからこそ生まれた作品であり、それは結果として彼自身を救い、彼と同じような悩みを抱えている人の心にも届く作品となった。

 

過去を受けいれ認めることはたやすいことではないし、人によっては過去から目を背けてしまったりなかったことにしたくなるのかもしれない。僕自身も自分の過去から目を背けてしまいたいと思うことがある。

 

だけどやっぱり過去はなかったものにはできないし自分の中に確実に存在している。そして生きている限り自分に影響を与え続ける。目を背け蓋をしても結局その過去から逃れることはできない。そのことに気づいたとき人は初めて「自分の過去と向き合おう」と決断できるのかもしれない。そして過去を受け入れ向き合えるようになってはじめて今を生きれるのかもしれない。

 

現在のカトーさんはマンガを出版し、一度は挫折した音楽活動を再開しライブも行うなど精力的に活動しているようだ。今後カトーさんがどのような作品を発表するのかを楽しみにしたい。

 

生きづらさを感じる人はぜひ一度手にとって読んでみてほしい。もしかしたらカトーさんが再生していく過程で何かヒントのようなものが得られるかもしれない。

 

それでは今回はこの辺で。

最後までご覧いただきありがとうございました。

次回もよろしくお願いいたします。

 

 

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