ニート気質な僕の生きる道

仕事を辞めて無職でニートになった僕がどう生きていくのかを綴った日記です。またニートやひきこもりなどなかなかうまくいかない人が一歩踏み出せるような、後押しができるような記事も書いていきたいと考えています。

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戦後70年を振り返るテレビを見て考えたこと。

年末の特番。

 

今年は戦後70年という事で終戦後の1945年から今年2015年まで10年ごとに起こった事件、事故などを振り返っていくというものだった。

 

1995年を振り返る

天災、事故、事件。どの出来事もとてもインパクトが強く、印象に残るものだったがその中でも特に印象に残ったのが1995年の出来事。

 

この年はまず1月に阪神淡路大震災があった。早朝に起こったこの予想もしなかった大震災は、多くの犠牲者を出し、多くの人の心に忘れることのできない傷跡を残していった。

 

そんな、阪神淡路大震災からの復興もままならないまま今度は首都東京で日本を揺るがす大きな事件が起きた。それは1995年3月20日起きたあの、『地下鉄サリン事件』だ。

 

死者13名、負傷者約6300人。日本史上類を見ないテロ事件。地下鉄という閉鎖的な空間。そして、通勤通学の時間を狙ったその犯行により、多くの人が被害にあうことになった。

 

今更この事件について僕が何かをいう事はない。ありとあらゆるところで語りつくされた大事件。未だに多くの人にとって忘れられない事件である。

 

年末の特番でこの事件について取り上げられていた時、僕は当時の事を思い出していた。

 

21年前の僕はちょうど10歳。小学4年生だった。普段通りに学校へ行き午後になって帰宅すると、母から『父がいつも乗っている路線がどうやら事件の舞台になったようだ』

という報告を受けた。

 

当時の僕は子供で事件がどのぐらいの規模でどの位の被害を出したのかもわからない状況だったが、父の命が脅かされるような事件であったという事は何となく把握することが出来た。

 

ただ、不幸中の幸いとでもいうべきだろうか父が乗っていた電車は事件の舞台となった車両ではなかったらしく、その後の電車だったとのこと。(事件の影響で電車は止まっていたらしい)

 

僕はその報告を受け安心した。それと同時に『父を失っていたかもしれない』という恐怖もあったのだろう。僕は「良かった。」と心の底から思い、大粒の涙を流して泣いた事を記憶している。

 

僕はこの事件が起きてから「誰でも事件や事故に巻き込まれる可能性があるんだ」という事を思い知らされることになった。

 

無関係な事は何もない

事件に巻き込まれた人と父には大きな違いはない。みんな、通勤通学、あるいはどこかの目的地に出かけるために電車に乗っていただけ。ただ、それだけのことなのだ。何かの偶然で父が電車に乗る時間を早めていたのなら、もしかしたら‥‥‥そう考えると今でもぞっとすることがある。

 

それ以来僕にとってあらゆる事件や事故、その他の出来事は自分にとって『無関係なもの』ではなくなった。『いつ自分にとって同じことが起きるかもしれない』という思いが、心の奥底でいつも漂っている。

 

あらゆる出来事は地続きだ。みんなつながっている。事件、事故、被害者、加害者。生きている限り、自分がどの立場になってもおかしくはない。犯罪を犯す人間になることは望まないが、犯罪者の境遇などを見ていると『もし自分が同じ立場だったら』と考えてしまう。

 

僕はたまたま恵まれた境遇に生まれてきて、恵まれた環境で生きてこれたけど、もし自分が犯人とおんなじ立場であったらどうしただろうか??ふとそんなことを考えてしまう。

 

考え過ぎだろうか??そんな事をふと考えてしまう自分がいるのだ。

 

いやっ、今のところ幸いなことに全く犯罪を犯したいなどと思ったことはないのだが、何かのきっかけでそう思ってしまうことはないのか??100%ノーと言い切れる自信が僕にはない。

 

人には色々な面がある。善人の部分もあれば、ちょっと汚い部分が誰にでもあるはずだ。普段は表に出てくることがないその部分が、何かのきっかけで拡大し善の部分を侵食して表に出てきてしまう。その結果犯罪を犯してしまうのではないだろうか??

 

あまりにも不遇な環境で、あまりにも理不尽な出来事だらけ。それこそ自分が社会からつまはじきにされ、家族や友人にも理解されない、あるいはそういう人たちが自分の周りには誰もいなかったら自分はどうするのだろう?想像すると怖くなってしまう。

 

そこで、もし何かその人間が変われるきっかけがあれば‥‥‥善意ある人の助け、アドバイス。心を変える出来事があったのなら。

 

別に犯罪者に肩入れするわけでも、同情するわけでもないが最近はそんな事も考えてしまう自分がいる。

 

こんな感じで年末の僕は、少し真面目なことを考えていた。

 

まとめ

全ての事は無関係ではない。ありとあらゆることが繋がっていると僕は思う。でも一方で、「自分に出来る事は多くはない」とも思う。結局は目の前の手が届く範囲で、自分が出来る事を精いっぱいやっていく。それぐらいしか自分が出来る事はないのだろう。

 

その結果、ほんの数ミリでも世界がいい方向に変わる。なぜならあらゆることは地続きになっているからだ。自分が良くなり、自分の手が届く範囲の世界が良くなることで、連鎖的に世界が良くなる。都合のいい考えかもしれないが最近はそんな事を考えている。

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