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日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

親に否定されるなら死んだ方がいいのか?

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今回も僕のブログに検索で来てくれたかへのアンサーのような形でブログを描いていこうと思います。

 

今回のワードは「親に否定される 死んだ方が」

 

たぶん死んだ方がのあとに「マシ」とか「いい」みたいな言葉が入るのかなぁ。仮に検索者の人がそう考えているのだとしたら僕の答えは明確です。

 

「親に否定されたからって死ぬことなんてないよ」

 

って感じです。理由もこれまたシンプルで

 

「親に否定されないために人生を生きているわけじゃないから」

 

もちろん親が自分を生んでくれたことへの感謝っていうのは僕もしてます。できれば期待にこたえたいという気持ちもあることはある。だからといって「親に否定されたら生きてちゃいけない」っていうまるで親が絶対っていう考えは違うと思う。

 

親が肯定しない人生ってはたしてダメな人生なのかな?親だって必ずしも正しいわけじゃないよね?もちろん自分が必ずしも正しいわけでもないけどさ。

 

たとえ親であれいってしまえば他人です。他人にあなたの人生を否定されたら生きてちゃいけないなんておかしくないですか?そんなこと言ってたらずーっと親の顔色伺って生きなきゃいけませんよね?

 

「どうしたら親は自分を否定しないだろうか?」「こうしたら親は自分を肯定してくれるかな?」

 

こうやって常に親の基準で物事を考えてしまうようになる。そこに自分はいないわけですよ。それってなんていうかな自分の人生を生きていないような気がするんですよね。他人の人生を生きちゃってる感じ。あなたの人生はあなたのものであって親のものではないでしょ?

 

仮に「親に否定されないように」ってことを優先として生きていったとしましょう。親基準で物事を考える。親に否定されないよう親が肯定してくれそうなことばかりをやるようになる。おそらくそういう生き方をすれば親に否定されずに済むでしょう。でもさ

 

「親がいなくなっちゃったらどーするの?」

  

これまで親から否定されないように必死に親の顔色をうかがいながら生きてきたあなたは、親がいなくなったら誰を基準に生きていくんでしょうか?誰かほかの人から否定されないように生きていくのかな?でも、それってしんどくないかい?死ぬまで他人を基準に生きるの?自分はどこ行っちゃったのよ?

 

そんなわけで「親に否定されるなら死んだ方がいい」なんて考えは自分の人生を生きてないってことになるからポイしちゃっていいと思う。むしろ「親から否定されようが自分は生きていい。」ぐらいに思っときましょう。

 

そうやって他人基準で生きるんじゃなくて自分の基準で生きる。親がどうとか他人がどうっていうことに振り回されないようにする。その方がきっと生きやすいんじゃないかって思ってます。

 

まぁ大体言いたいことは言えたので今回はこの辺で。

最後までご覧いただきありがとうございました。

次回もよろしくお願いいたします。