オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

回避性パーソナリティ障害を克服するための方法を本から学んでみた。

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今回もこちらの本を参考にしながら書いていこうと思う。

 

前回は「回避性パーソナリティ障害の特徴について」共有させてもらった。中には「自分はもしかしたらこの傾向にあるかも」と思った方もいるかもしれない。まずは自分がどういう傾向にあるのかを把握するのはとても大事だ。

 

今回はさらにそこから一歩踏み込んで

 

「回避性パーソナリティ障害を克服するためには?」

 

という内容で書いていく。はたして回避性パーソナリティは克服できるのか?筆者は本書の中でこう述べている。

 

回避性のケースでは、引きこもりや無気力な状態を生じやすく、しかも、その状態が何年にもわたって、時には何十年も続いてしまうことも珍しくない。

しかし、同時に、こうした状態は改善することができるし、完全に克服して、前向きで積極的な生き方に変わるケースもある。

引用元:生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)

 

このように回避性は改善できるのだ。

 

ただし自分ではなかなか解決が難しい場合やはり医療機関の受診などを利用するべきであるということはあらかじめお伝えしておく。

それでは本書の中の具体的な事例と共に見ていこう。

 

 

 回復のカギを握る「安全基地」

ある女性は進路に悩み、就活にも積極的になれずそのまま学校を卒業。その後も就職活動をしないままの状態が12,3年も続いていたそうだ。

 

僕も1年とかそのぐらい家からほとんど出ないような時期があったが、12,3年というのは凄い。その間彼女がどういう心境だったのかを考えると胸が苦しくなってしまう。

 

もちろん、両親も彼女を放置していたわけではない。共働きをしている両親ということもあり彼女を何とか社会に出そうと最初の数年間はあれこれ動いていたようだが、事態は一向に改善しない。

 

徐々に就職の話もしなくなり、かろうじて両者の平安は保たれるようになったとのこと。

 

そんな彼女に転機が訪れる。それは発達障害の存在を本で知り「もしかしたら自分はこれからもしれない」と思い、相談機関に連絡をしたことだった。それから発達障害のサポートを受けるには医療機関の診断が必要だということを伝えられ、本書の筆者の元に受診に来たというわけである。

 

受診の結果は確かに発達の偏りがあることが判明。だが同時に高い能力を持っていることも判明したらしい。この辺は発達障害の人の特性かと思う。苦手なものはトコトン苦手だが、得意なものはものすごく得意。その能力差が激しい人が多いというわけだ。

 

だが、ここで重要なのはそれだけではない。ここで判明したのは彼女がなぜ動けなくなっていたのかという理由である。本書の中でこのように述べられている。

 

もう一つ明らかになってきたことは、彼女を動けなくしているのは、発達の課題以上に、自分は両親の期待を裏切った、無能で何の取り柄もない人間だと思い込んでいることであった。両親との関係も冷え切ったままで、自分のことを理解されていないと感じて、苦しい思いは続いたままだった。しかし、わかってもらおうとすると、ぶつかり合いになってしまうので、表面的なかかわりしか持たないことで、かろうじてバランスをとっていた。

 

怠けたいわけじゃない。むしろどうにかして社会に出なければと考えている一方で自分は無能であると思い込んでしまい自信を無くしてしまっている。自信がないとなかなか動けないということは僕も良く分かる。気持ち的にはブレーキとアクセルを両方踏んでいるような感覚かもしれない。ただただふかすだけでエネルギーを消耗してしまう。それなのにちっとも前にすすめないからつい「自分はダメだ」と考えてしまうのだ。彼女はそんな思いを10年以上抱えていたわけだからそれはしんどいものだっただろうというのが想像できる。

 

もういくら頑張っても、両親が期待するようなことはできっこないので、何をやっても無駄だという思いも強かった。大学に入るまでは、勉強ができることだけが自分の取り柄で、そこで認めてもらえると感じていたが、就職につまずいたことで、すっかり自信を失ってしまったのだ。何をやっても、どうせうまくいかない。そんなダメな自分を、誰も受け入れてくれるはずがない、という自己否定のスパイラルに陥り、抜け出せなくなっていた。一時は死ぬことさえも考えていたという。

 

ご両親の期待が就職して社会に出ることだったとすれば、それに応えることが出来ない自分はもうダメだと思い込んでしまったというわけだ。客観的に見るとそんなことはないんだけど、一度思い込んでしまうとなかなかいい面とか、肯定的な考えというのが受け入れられなくなってしまう。偏った思考、認知のゆがみなんて言葉があるがこれを取り除くのはなかなか難しい。

 

僕もそういう彼女のように自己否定のスパイラルに陥った時には死にたいと思ったりもした。ニートやひきこもりでいることは気楽でもなんでもない。むしろ自分を否定しまくる苦しい日々だったということを記憶している。

 

※認知のゆがみについてはこちらの記事を参考に

 

そんな彼女だが、発達面の課題を認識し特性が明確になったことで徐々に自己否定する事がなくなっていたそうだ。さらに彼女にいい影響を及ぼしたのが、筆者が述べている「安全基地」の存在である。

 

安全基地というのは頼れる場所、存在と言い換えてもいいだろう。この女性のケースでは相談機関への相談や筆者のところに通うことで、いざという時に逃げ込める場所が出きたのだ。ひきこもり時代よりもはるかに強いストレスにさらされながらもなんとか前にすすめているのは、しんどい時や困った時に人に相談する、誰かに頼るということを身につけたからだと筆者は言っている。

 

また、それまでは両親との関係もぎくしゃくしていたが、彼女の発達の特性を理解し、筆者の方から共感的に受け止めることが彼女の支えになるとアドバイスをしたことで、両親の対応も変化した。

 

彼女にとってそれまでの両親はとても「安全基地」と呼べるものではなかったのだろう。むしろ、地雷がすぐ横にあるようなそんな気持ちが休まらないような存在。そんな状態ではなかなか前にすすむことは出来ない。なぜならいざという時に頼ることが出来ないからだ。頼れる、帰れる場所がないと人はなかなか行動を起こすことが出来ないものである。

 

そんな両親も徐々に対応が変化し、彼女の理解者となった。そうして両親もまた「安全基地」としての役割を担うようになった。両親、相談機関、筆者という具合にいざという時に頼れる存在が増えた。苦しい時や困難な時は頼ってもいいんだと思えるようになった。そのことが彼女に安心感を与えて前にすすめるようになったのだと思う。

 

この女性はその後職業訓練を受け、就職をしたとのこと。能力は元々高いものを持っていたので、正社員として抜擢され仕事を続けているそうだ。

 

回避性の人が周りの力を借りながらうまく社会に出ていくことができた好例だと言っていいだろう。

 

自分で決定することの大切さ

ある26歳の男性のケース。その男性は高校卒業後8年ほど家から出れなくなっていた。そんな男性が筆者のクリニックに相談に訪れた。彼は筆者の元に連絡をするかどうかで半年間悩んだそうだ。それまで一度も自分で決めることがなかった人生。それが彼にとって初めての決断だった。

 

では彼がなぜ自分で決めることができなかったのかというと全て母親が決めていたからだ。母親にはある基準があり、そこから外れると怒られてしまうからだとのこと。そうやって母親に従っているうちに自分では何も決められなくなってしまった。

 

ただ、そうした自分に違和感を感じていたのだろう。彼は本書の中でこのように述べている。

 

これからは自分で決めるということをしてみたい。ここに来るということも、自分で決めたい。ここに来たことはその一歩だと思うと、いつしか涙を流しながら語ったのである。

 

きっと彼なりに「母親に全てを決められる」ことに葛藤があったのだろう。でもその決定になかなか逆らえない自分がいた。電話をするだけで半年間も悩み抜いたのだ。その葛藤ぶりはよく分かるはずだ。そんな彼が初めて決定して流した涙は「ようやくこれで前にすすめる」といううれし涙だったのかもしれない。

 

ちなみにこの男性の場合カウンセリングを受け始めて3か月後には外にも緊張せず出れるようになり、半年後にはハローワークにも行けるようになった。さらにその2か月後にはアルバイトを始められるようにもなったとのこと。

 

この彼は悩み抜いた末「自分でクリニックに行く!!」と決断し行動をしたこと自体がとても大きい。

 

回避性の人の場合、行動することを回避するだけでなく決めるということも回避してしまうというのがその人の思考回路としてあるとのこと。それを変化させるためにはどうすればいいのだろうか?筆者はこのように述べている。

 

それを変えるためには、どんな小さなことでもいいので、自分で決めることを実践していくことだ。取り上げた二つのケースとも、自分で決断し、迷った末に行動を起こしたことで、突破口がひらかれた。自分で決め、自分で行動するということが一つでも出来ると、そこから人は変わり始めるのだ。実際、自ら何とかしたい、この状況を変えたいと思ってやってくるケースは、無理やり連れてこられるケースに比べて、圧倒的に改善が早い。最初は、引っ張られて連れてこられたケースでも、自分から改善したいと思い、自分から通うようになると、本当の変化が現れ始める。それゆえ、自分で決めるということを尊重するスタンスが大事である。無理強いしても逆効果になりかねない。

 

※取り上げた二つの例と言うのは最初の女性と、今回の男性のことを指している。

 

「自分で決め、自分で選択し、自分で行動すること」

 

これが物凄く大事だと思う。

 

僕も、自分が家からなかなか出れなかった時は自分でネットで調べてサポステやハロワなどに連絡し足を運ぶようになった。その辺りから状況が少しずつ好転していったように思う。これが強制的にやらされていたらなかなかうまくいっていなかったかもしれない。

 

でも自分に自信がなくなかなか自己肯定感を持つことが出来ない人にとっては自分で決めて行動するというのは難しいかもしれない。僕もすごく行動するのが怖かったことを記憶している。

 

でも、悩んでもいい。迷ってもいいのだ。ここで紹介した青年だって筆者のクリニックに連絡するまでに半年間も悩んでいる。でも悩んだすえに「自分で連絡をしてクリニックに行く」という決断をしたから少しずつ前にすすめるようになったのだ。

 

毎回言うが人と比べても意味がない。自分で考え納得し自分で決めて行動する。どんなにペースが遅かろうが関係ない。あなたが自分で決めることができれば少しずつ状況は動き始めるだろう。その事を忘れないでほしい。

 

理想や期待よりも、目の前の機会に乗ってみる

 

回避性の人が回復し始めた時に、しばしば起こるのは、それまで抱いてきた大きな理想や願望にこだわるのをやめて、その人の前に提供された小さなチャンスに思い切って乗ってみるということだ。それまでのその人であれば、自分が本当にやりたいことと少し違っているとか、負担が増えて大変ではないかとか、うまく行きっこないとか、失敗してガッカリするのがおちではないかといった、マイナス面ばかりを考えて、結局なにもしないということになりがちである。

 

これは僕も同意するところだ。もちろん、自分でチャンスを見つけ掴みに行くというのも大事だ。それができるのが理想的なことだと思う。でも、現実には回避性の人の場合なかなか動き出せないことが多い。これはニートの人やひきこもりの人なんかにも共通する事だと思う。

 

であるならば、人からの誘い、何かのイベントにちょっと参加してみる。「ちょっとでもやってみようかな」と思ったのならその思いを否定せず流れに乗ってみることだ。

 

ちなみにキャリアの関して面白い理論がある。

 

キャリアの8割は偶然? キャリアプランに役立つ「計画された偶発性理論」とは | 20代の”はたらき”データベース『キャリアコンパス』- by DODA –

 

キャリアの8割は偶然なのではないか?という理論だ。つまりこの理論によると「8割の人は計画した通りのキャリアを歩んでいない」ということになる。 この理論がどこまで正確なのかはわからないが、意外と流れに身を任せてみたり、人からの誘いや偶発的な出来事によって仕事も人生も決まっていくのではないかと思う。

 

もちろん、理想の人生があって理想の仕事があって目的、目標ががっちり決まっていてそこに向かってひたすら進むという人生もいいだろう。アスリートとかなんてまさにそうだよね。でも、そうじゃない人生、そうじゃない働き方があってもいい。あまり肩ひじを張りすぎて理想に捉われすぎない人生というのもアリだと思えると、少し楽に生きれるのではないだろうか。

 

小さな変化を起こしてみる

 

回避性の人は、変化に対して臆病である。新しいチャレンジをするよりも、手堅く現状維持に徹した方が、リスクがないと考えてしまう。確かに、その時はリスクを回避でき傷つくことを避けることができるが、それではチャンスも広がらないし、長い目で見ると、自分を弱らせ、避けられない変化に遭遇した時に、潰されてしまう。小さな危険を回避し続けることで、適応力を低下させ、大きな危険を用意してしまうのである。

 

これに対する対処法としては、ニートやひきこもりの人にも共通すると思う。僕がこのブログでも常々述べているように「まずはハードルを低くして乗り越えられそうなところまでレベルを下げる」ということが大切だ。

 

いきなり人生一発逆転みたいなのを狙って到底出来なそうな目標を掲げる必要なんて全くない。そんなことをすればそのあまりのハードルの高さにビビってしまうだろう。そして、高すぎる目標は大体失敗する。失敗すれば自信を失い、次のチャレンジまでの道のりが遠くなってしまう。そんなドMなことをする必要はない。

 

まずは自分が出来そうなことから始める。成功体験を積み重ねる。本当に小さな変化でもいいのだ。「健康に良さそうだから散歩でも初めてみようか」ということであれば、散歩をしてみよう。その程度でいいんだ。

 

今まではいかなかったけどあのイベント面白そうだから行ってみようと思ったなら行ってみるといい。働くことを考えるならいきなり「正社員で週5日で!!」なんて必ずしも考える必要はない。できる人はしてもいいけどしんどそうならまずは、バイトで週に2~3日とかでもいいじゃないか。それだって確実に前進である。そうやって小さな変化を起こすことで、少しずつ自分自身が変化に慣れてくるはずだ。

 

ありのままの自分をさらけ出す

 

回避性の人の行動にブレーキをかけている大きなマイナスの力として、恥の感情がある。自分は恥ずかしい存在だという思い込みのため、等身大の自分を見せることができず、自分の内面を隠してしまう。隠せば隠すほど、知られることは恥ずかしくなり、消極的な生き方になっていく。人よりできない自分、人より愚かな自分、人より醜い自分、そして人に笑われる自分という思い込みが、人に自分の姿を知られることを恐れさせる。

 

この気持ちは僕もすごく分かる。うまくいっていない自分、情けない自分の存在をどうしても隠したくなる。自分は恥ずかしい存在だと思い込んでしまうのだ。僕もこの恥ずかしいという感情でいっぱいだった時期がある。それは自己否定しまくりのマイナスなことばかりが思い浮かぶときである。

 

住んでいる団地の人に見られないように、玄関から出る際は必ずドアののぞき穴を確認し、そーっとドアを開け聞き耳を立てる。階段を上り下りしている音が聞こえないことを確認し、ドアを開けて玄関から出る。誰かが階段にいる気配を感じたら、すぐに自分の家に戻って人がいなくなることを確認していたぐらいである。

 

これ、全て自分の存在が恥ずかしい、自分の存在を知られてはならないという考えからだ。今思うとやや病的な面もあるかと思うが、当時の自分は本気でこれを実践していた。それぐらい自分の存在というものが恥ずかしいと思っていたのだ。今ではそんなこともなくなったが、当時の僕はそうやって自分の存在を隠そうと必死だった記憶がある。

 

ここで本書からありのままの自分をさらけ出すことに成功した例を紹介してみよう。

 

万友美さん(仮名)は、就職にも結婚にも失敗し、接するのは、ほとんど家族だけという生活が十年以上続いていた。自分は失敗した人間なので、そんな自分の姿は誰にも見られたくないし、誰も自分のような人間には興味もないだろうと思っていた。

昔の友人との付き合いもしなくなっていたし、同窓会のハガキが来ても、一度も出席したことがなかった。

 

やはりこの万友美さんという人にも恥ずかしいという思いが強くあったのだろう。失敗した自分うまくいかなかった自分を知られるのはしんどい。そうなると、付き合いも減ってしまうし、同窓会なんて積極的に出たいなんて思わないはずだ。

 

そんな彼女の日常は母親の急死、中学時代の友人からの同窓会への誘いという形で思いがけない変化をすることとなった。そして、その友人と頻繁に会ううちに実はその友人もシングルマザーで、ありのままにあれこれ話す姿を見ているうちに万友美さんもだんだんと自分の近況を話せるようになったのだ。

 

さらにそうやって近況を話すうちに、他の友人とも繋がりさらにそのつながりで仕事を手伝ってくれないかというお誘いを受ける。最初は外で働くことは無理だと思っていることをありのままに伝えた。相手からは「少しずつ慣れればいいから、気長にやってみないか」と言ってもらえた。迷った末に彼女ははその話を受けた。

 

これはありのまま自分をさらけ出すことでいい方向に結び付いたいい例だと思う。

 

まず、万友美さんは同窓会に参加する事で今の自分を隠さず友人と会った。これが大きい。ここで、もし「同窓会に行かない」という選択をしていたら、もしかしたら今も万友美さんは動けないままだったかもしれない。

 

さらに、同窓会に誘ってくれた友人に対してありのままの自分のことを話すことで友人と距離を置くこともなく仲のいい関係を築くことができた。せっかく友人と再会したとしても、ここで自分のことをあまり話さない様だったらこの関係性もどうなっていたかは分からない。

 

そして、最後は仕事のお誘いを受けた際にありのままに「外で働くことは無理だと思っている」ということを伝えたことだ。そうやって自分の思っていることを素直に伝えた上で相手の方は「少しずつ慣れればいいから」と言ってくれた。この言葉によって万友美さんは受け入れてもらえると思えたし、安心感も芽生えたのだろう。

 

最終的に万友美さんはその働き始めた職場で知り合った男性と結ばれたということだから、本当に良かったと思う。自分の存在、自分の内面を隠さずにいったことで少しずつ人生が開けていった。彼女の場合そういう友人がいてくれたことも大きいが、彼女自身が選択し、行動に移したことも少しずつ前進できた理由だと思う。

 

ここまですんなりと行く例もなかなかないとは思うが、「ありのままの自分をさらけ出す」ことで何かが動き出すきっかけになることは間違いないだろう。

 

まとめ

今回は生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)の中から、個人的に使えそうだなと思った部分を中心に、取り上げさせてもらった。超絶長くなってしまったので離脱者も多いとは思うがここまで読んでいただけてとてもありがたい。今回取り上げた克服方法は以下の項目だ。

 

  • 回復の鍵を握る「安全基地」
  • 自分で決定することの大切さ
  • 理想や期待よりも、目の前の機会に乗ってみる
  • 小さな変化を起こしてみる
  • ありのままの自分をさらけ出す

 

前回の記事でも書いたが、この項目が回避性パーソナリティの傾向にある人だけでなくニートやひきこもり関係の人にとっても参考になる内容であると思っている。

 

ニートやひきこもりの人もつい人間関係を回避してしまったり、自分の存在を恥ずかしいと感じてなかなか外に出れなくなってしまうという人もいると思う。傷ついたり拒否されることが恐いという人もいるだろう。そんな時には今回紹介した内容をぜひ参考にしてほしい。

 

少しずつ、ほんの少しずつかもしれないが前にすすめるはずだ。何度でも言おう。あなたのペースで少しずつ進んでいけばいい。時に止まってしまうこともあるだろう、完璧なんて目指さなくてもいい。悩んだり迷ったりしてもいっこうにかまわないのだ。誰かに相談しながらでいい。少しずつ本当に少しずつでいい。自分の人生を幸せにするために一人でも多くの人が動きはじめてもらえれば幸いである。

 

それでは今回はこの辺で!!

最後までご覧いただきありがとうございました!

次回もよろしくお願いします!!

 

 

 

※本書にはより詳しく回避性パーソナリティ障害の特徴やそうなる理由、克服する方法などが載っています。図書館でも借りれると思うのでお金のない方は図書館へゴーして借りてみてください♪