オバログ

日記から読んだ本や映画の感想、時事問題まで綴るブログです。弱者の戦い方、この社会がどうあるべきかも書いていきます。

貧困世代という本を読みながらあれこれ考えた。

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最近こういう本を読んだ。

 

 

タイトルからして気が重たくなるが、内容をメチャメチャ簡単に言うと

 

「若者の貧困化が進んでいるよ」という内容。

本当に苦しい思いをしている若者が多いのだなと改めて思う。

ブラックバイト、奨学金の返済、うつ病での退職による生活保護など様々な困難が若い人にふりかかっているのだなと思うとやりきれなくなることも多い。

 

僕は若い人の貧困の問題には興味があるので関連本を読んだりもするが、元々の境遇からして恵まれない人がけっこういる気がする。僕が彼らと同じ立場だったら果たしてどうするだろうか??と考えるとやはり同じように苦しい思いをしながら過ごす可能性が高いのだろうなとも思う。いやっ、そもそも人生を投げてしまっているかもしれない。

 

僕と彼らを比べると僕ははるかに恵まれた立場だ。親は定年まで勤めあげたし退職金も出ている。離婚で片親になってもいない。大学も奨学金に頼らず学費を出してもらえた。大学を出て半分ひきこもりのような立場になったこともあったが放り出されなくて済んだ。経済的に余裕がなかったり親から見捨てられてたらおそらく僕は家なしのホームレスになっていただろう。

 

違う親の元に生まれていたらもしかしたらひきこもることすらできなかったかもしれない。のたれ死んででいたかもしれないのだ。それはただただ運が良かったからだと思う。親に恵まれていたとしか言いようがない。親には本当に感謝している。少しずつその感謝を形にしていければと思う。

 

でも、世の中には残念ながら不平等かつ不運な状況からスタートするという人も確実に存在する。いきなりムリゲーのような状況から人生が始まる人もいるのだ。片親だったり、とんでもなく貧しかったり、親から虐待を受けていたり。あるいは周りの環境がとんでもなく劣悪な人だっているだろう。そういう人に「頑張ればどうにかなるさ」とか「努力次第でなんとでもなる」というのは酷だと思う。

 

もちろん、努力や本人の工夫で苦しい立場から抜け出して大成功を収めた人もいるだろう。それは否定しない。僕も努力は大事だと思う。っていうか学んだり何か新しいスキルが身に付いたりするのは大好きだ。

 

実際そういうどん底から這い上がったという成功話は存在するし書籍などで出版されてベストセラーになったりもする。だけどそれはレアケースだ。レアケースだからこそ珍しいし、そういう話を人は面白がる。物語としての面白さだ。そしてそれを過度に一般化しようとする。

 

「たとえ貧困でもどん底でも努力をすれば抜け出せるよ。だって○○さんみたいな人がいるんだから」

 

その言葉は確かに苦しい立場にいる人を勇気づける。もしかしたら自分も成功できるかもしれない。今の状況からいい立場に行けるのかもしれないという希望を抱かせる。確かに希望は大事だ。最初から「あなたの人生には希望がないよ」と告げられて人生を生きたいと誰も思わないだろう。人は希望があるから進んでいけるように思う。

 

だが分かっているとは思うが、誰もが苦しい立場からうまく抜け出せるとは限らない。努力をし、さらにその努力の方向性があっていてさらにまわりの環境や人、時代、タイミングなどいくつかの要素がハマって始めて状況がうまく回り始める。そこには本人の努力ももちろんだが運というものが加わるのも忘れてはいけない。

 

もちろん、過度に運任せみたいにするのも良くはない。かといって過度に「本人の努力のおかげだ」というのもこれまたちょっと違和感を感じる。どちらの要素もあるような気がする。

 

何だかまとまりがないが、まぁ要は「本人の努力だけ」でも「運だけ」でもなく、両方がミックスされてうまくいく人もいればいかない人もいるっていう当たり前のことを言っている(^^;

 

だから、

 

「自分の努力が足りないからダメなんだ!!」

 

と過度に自分を否定して責めて自己肯定感を失わせる必要はないと思う。逆に過度に自分の努力ですべて手に入れたととか成功したというような自己肯定感をマックスまで引き上げることもない。それはそれで勘違いしている気もする。

 

僕が好きなphaさんという京大卒の元ニートの方がいるんだけど著書の中でこんな事を言っている。

 

「自己責任は50%、自分ではどうしようもないことが50%」というぐらいに考えておくのが、自分に甘すぎず厳しすぎず、ちょうどいいくらいのバランスなんじゃないだろうか。

引用元:しないことリスト 

 

まさにその通りだと思う。厳密に言えばすんごい過酷な環境で生まれ育ってきた人と、超恵まれた環境で育った人ならちょっと割合は変わるかもしれない。でも、完全にどちらかにふりきれるということはないはずだ。だから全てを自分のせいにする必要もないし、逆にすべてを社会や他人のせいにするのも危うい。

 

極端にどちらにも偏りすぎず自分がやれること努力できることを少し頑張ってみて、そうではないところは誰かにサポートしてもらう、もうどうしようもないなと思ったら「助けてください!」と声を上げてもいいんじゃないか。

 

己のみに頼りすぎることもない。かといって他人や周りの環境だけに依存しすぎない。そんなバランスの良さが生きやすいのではないかと思っている。僕は親に依存しているのでとてもバランスが悪い(^^;もうちょいバランスよく生きていきたい。

 

社会のシステムとしては本人の努力ではどうにもならない部分をうまくサポートしてあげる、そういう制度をうまくつくれればより生きやすくなる。世の中強い人、努力ができる人ばかりではない。病気の人、どうしても努力が出来ない人も沢山いる。

 

努力をできることだってある意味では才能なんだ。健康でストレスに強いことだって才能だ。またいくら健康的な日々を過ごしていてもある日とつぜん病気になることだってありうるのだ。

 

だからうまくいかない人とか、しんどそうな人、病気でつぶれてしまった人を見て「あなたの努力不足」と切り捨てるのはちょっと違うと思う。そういう人も死なずに安心して暮らせる社会というのが理想的だと思っている。結局その方が今はうまくいっている人にとっても生きやすいはずだ。誰だって未来にどんな事が起こるかなんてわかりはしないのだから。

 

もちろん、本人ができることは本人がやるというのは僕も賛成だし何度もいうけど、努力を否定するわけでもない。ただそのできることは人によって違うということも考慮しなければならない。

 

できない人はできないなりに少しずつやっていけばいいのだ。ちょっとずつ数ミリづつでもいい。他人から何と言われようと自分のペースで進もう。

 

完全なひとりごとというかまとめることなく文章にしてしまいました。読みにくかったかもしれませんが、何となく言いたいことは言えたのでこの辺で締めたいと思います。

 

それでは今回はこの辺で!!

最後までご覧いただきありがとうございました!

次回もよろしくお願いします!!